クリスチャンで言うところの「神を礼拝する生き方」というのは、まぁ、簡単に言うと、
「本気で生きること」
です。
居酒屋てっぺんの大島さんが叫ぶのも、
てんつくマンがどこへでも行くのも、
あなたが一生懸命勉強するのも、
お母さんが子供の弁当を作るのも、
御父さんが子を思って黙って働き続けてくれるのも、
「神を礼拝する」
「本気の生き方」
です。
そのことが聖書でも書いてあります。
(ヨハネ伝4章21節)
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(ユダヤ人である)イエスは女に言った。
あなたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、(宗教の中心地とは限らない)そういう時が来ます。
救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがた(=日本人)は知らないで礼拝しています。(知らなくても礼拝はできる!)
しかし、真の礼拝者たちが霊とまこととによって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。
父はこのような人々(本気で生きる人)を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊ですから、神を礼拝する人は、霊とまこと(=一生懸命な心)によって礼拝するのです。
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また、神は、聖書で、
「私があなたを選んだ」
「あなたが私を選んだのではない」
と、明示しています。
つまり、
世界で活躍している人、
日本で活躍している人、
明石家さんまも、
高木ぶーも、
SMAPも、
つんくも、
小島ヨシオも、
てんつくマンも、
住職も、
牧師も、
あなたの奥様も、
あなたも、
ダンナさんも、
お母さんも、
お父さんも、
みーんな、神が選んで、活躍しています。
だから素晴らしいに決まっているのです。
彼らが素晴らしいのは、彼らが本気で頑張っているからです。
洗礼という儀式を受けたからではありません。
祈りの儀式を捧げているからでもありません。
本気で頑張っているから、福がやってくるのです。
生きることが、幸せなのです。
僕はこの態度が、幸せのカギであり、教会の伝えるべきメッセージだと
思います。
「神があなたに力を与える」
んだけれど、
「それを使うのは自分」
自分が頑張る心が必要なんです。
だから、うつの人に
「がんばらなくていいよ」
と言っても彼らは混乱するんです。
彼らは既にきっと気付いています。
人より気付く力が強く与えられたから、
苦しむんです。
でもその洞察力が与えられた彼らも、
その洞察力を用いて本気で人に尽くした時、
祝福されます。
神の与える能力と、
あなたのそれを用いる気持ちの持ち方、
そこが合致すれば幸福の糸口は見えてきます。
イエスは言った。
あなたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、(宗教の中心地とは限らない)そういう時が来ます。
救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがた(=日本人)は知らないで礼拝しています。(知らなくても礼拝はできる!)
しかし、真の礼拝者たちが霊とまこととによって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。
父はこのような人々(本気で生きる人)を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊ですから、神を礼拝する人は、霊とまこと(=一生懸命な心)によって礼拝するのです。
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