聖書の神が、日本の神々をおいたのであれば、
それらの神々を通じて、聖書の神につながろうとする試みもOKなはずです。
いま多くの人が、近くにいる、知っている、ほとけさんや、祖先、おじぞうさん、神社、お守り、などを通じてお祈りをしています。
何とか救われたい、その一心です。
どうかどうか、聞いてください。
寒い、
怖い、
生きたい、
家族を守ってくれ、
会わせてくれ、
そのストレスも多すぎて、直面するのはつらいため、
隠して生きているひともいると思います。
被災地から遠くても、ニュースと、余震とで、心に不安と怒りが
ありながら、遅れる電車で仕事をしているでしょう。
取引先との予定も変わってきていらいらがあるかもしれません。
どれだけ、もっとつらい人がいるんだから私は我慢、、、 と思おうとしても、
生活も不便になり、心が苦しいことがあるでしょう。
日本人は、他人を思いやるようにプログラムされた民族ですけど、
自分のことをまず守らなくば、他人のことも、うまく考えられません。
自分の健康と安全を守っても良いんだという、自身に対する愛の部分を、まず押さえます。
自分自身を守る愛のこころを、ください。
そのうえで、計画停電などに、協力する、他者への愛のこころを、ください。
愛のこころを、ください。
愛 = 心を受ける
という漢字を書きます。
人から心を受けて、受けた分を与える、というリレーのような愛の関係を、みせてください。
自分で何とかしなくてはいけない
だから苦しいことは隠して人に頼らない
という文化が長く続いたのかもしれませんが、
その部分を、ちょこっと変えてください。
こころの奥にしまった感情は、何かの形で結局わたしたちをおそいます。
どうかいま、1人の人が、感情をシェアする相手を、思い浮かべますように。
そしてその人との会話で愛が実りますように。
怒りを感じるのは、当然のことです。
不安を感じるのは、当然のことです。
悩むのは、当然のことです。
悲しいのも、当然のことです。
自分を少しだけハッピーにするには、何ができるのか。
お母ちゃんを少しだけハッピーにするには、何ができるのか。
息子を少しだけハッピーにするには、何ができるのか。
横にいるあの人をちょこっとハッピーにするには、何ができるのか。
移動必要な人は、移動手段が守られますように。
疲れきっている人は、寝る時間が与えられますように。
笑顔が必要な人には、何か、芸を。。
必要な食べ物が、蓄えられますように。
そして足りない地域には供給されてください。
電気が、賢く、被災地の付近でも節電され、備えられますように。
特に、原発を守る、工員の方たちに多くの守りが、聖なる霊の守りがあることをお願いします。
聖なる霊といっても何じゃそれと思いながら、祈り願います。
聖書では、聖霊が、助ける主であり、知恵を与える主であり、力を与える主だということです。
ひらめきを与えたり、必要な行動を与えたり、よろしくおねがいします。
再度、菅直人のことを祈ります。
国のリーダーたる責任感は、想像するだけで気が重くなります。
彼の休息と、様々な発表時の、言葉選びを、どうかお守りください。
彼をはじめ、上に立って、先頭きって働く人を、称える人を周りに配置してください。
家庭のお父さんを称える人を与えてください。
家庭のお母さんを称える人を与えてください。
子供をほめる人を、与えてください。
一緒に祈ってくれた、くれている、人を、ありがとうございます。
神が、祈る力を与えてくださいよ。
表面的には、どのような祈りも、良いと思います。
心が、愛の神を思ってるんだという、その部分で、神がこれを聞いたってください。
キリストが、愛の源泉だというんだったら、それを私たちに分けてください。
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