ブログランキング参加から1カ月で記事がカテゴリ1位!
If you are seeking mobile marketing, click this text.

にほんブログ村 海外生活ブログ 海外留学(アメリカ・カナダ)へ にほんブログ村

2011年1月14日金曜日

日本人に備わっている愛のポテンシャル

夏目漱石は、愛してるという言葉を日本語に訳す時、


貴方といると月がキレイですね 


と訳したそうです。


日本人の、直接ものを言いにくい文化に配慮した実に見事な訳です。


二葉亭四迷は、愛してる を、


あなたとなら死ねる


と訳しました。


神や愛のことを知らない人に神のことを伝えるなら、できるだけ


「神」や


「愛してる」という


言葉を直接使わずに、それを説明するような言葉、あるいは日本人が


ふつうに使う言葉で話す必要があります。


となると、愛してるとは、何でしょうか


思いやる 

相手のためになることをする 

相手のほしい物を考えながら行動する



実際に、相手の状況に応じて、以下のような言葉を人にかけることも


愛だと思います。


「君には変わる力があると信じている」

「人生一度だけだ」


こういう小さな気遣いも。


「これアゲる」

「ありがとう」

「すばらしい」


日本人は直接ものを言うのにまだ慣れていません。


だから、以下のように行動で示してやる愛というのが最もウケるでしょうか。


その人のためにプレゼントを考えて準備する


その人に食事を作る


本をプレゼントする


一緒に泣く 笑う


メッセージを贈る


時間をともに過ごす


で、こういう一つ一つの行動をしたいという気持ちが人間に与えられた


ことに対して理由をつけるとすれば、


神がその気持ちを人間に与えたから、といえます。


(これは私の個人的に信じている事で、正しいかどうかはわかりません)


このように、愛 を、様々な形で表わそうという努力をはじめると、


実は日本人の中にたくさんの愛が既に備わっていたことに気付きます。



(聖書では、律法(旧約聖書)をしらないひとが既に聖書にのっとった


行動をするならば、それは愛という字がその人の心にすでに神によって


刻まれているからだ、と、ローマ書というところで書いてます)



母親は毎日文句も言わずにお弁当を作ってくれました。


父親は仕事に行ってお金を持ってきてくれました。


それぞれ、完璧ではないので、うまくできていないこともあっても、


大枠では、大きく愛を示してくれました。


だからこそ、


彼らが信仰告白をしていないから彼らの愛は本物でないんだ云々、


などという批判をするのはもったいないです。


むしろ、


彼らの中に備わっている息子を思う気持ち(愛の心)を認め、


ありがたく思い、ニコニコできればいいです。



相手は父母だけではありません。


ノンクリスチャンという言葉は、信仰告白をした人たちが勝手につけた言葉です。


実際は、誰が天の国に召されるかは、人間にはわかりません。


それぞれ、自分の周りにいる人たちが、自分に示してくれた、良い心を、


認め、喜び、尊重し合うのがいいです。


それができた時に、あたかも、既に天国にいるような心地が得られます。


すると、表面的な、本人たちが与えるラベル(クリスチャン・ノンクリスチャン・


仏教徒・儒教徒 など)から、私たちのフォーカスは自然にズレているでしょう。



なぜなら、わからないことにフォーカスしても仕方ないからです。


「あなたがた人間が神であるわたしを選んだのではありません。わたしが


あなたがたを選んだのです」


と、聖書を人間界に送りつけた主体(聖書の神 = YWHW ヤハウェ)が聖書に書きました。


誰が選ばれているのかわからない状態なのです。


その状態で、喜ぶためには、とにかく良いものを見つけあい、


お互いに褒め合い、尊敬しあい、学び合い、食事をし、喜び合うしかないです。



クリスチャンになります という信仰を告白していない(可能性がある)人の中に、


素晴らしい人たち、たくさんいます。



うちのお父さん お母さん おばあちゃん etc...


近所のコンビニで毎日同じ時間に必ずいる、あの店員さん


会社の社長さん


学校で宿題をこなす子供たち


先生たち


著名人でも、


斎藤ひとり (無料講演会で人々に元気を与えるひと)


てんつくマン (道に座って字を書いて人を励ましたり、お笑い芸人の才を活かして元気を与える)


和田秀樹 (受験勉強を通じて人々に学びと気付きを与える)


オリンピック選手 (並はずれた練習で人に感動を与える)


それぞれの方法で愛を振りまく人々は、数え切れません。



クリスチャンはいい、そうでない人はよくない


などと言っている時代は終わったと思います。


オッパッピー的にいえば、ソンナノ関係ネェはずです。


人間は不完全な存在として、聖書の神を信じているのであれば、


共に学び合おうというベクトルで、


人々の中にすでに存在している愛


を認め合いたいです。 


神は愛だ(聖書に書いてます) というのであれば、


「お、あの人の中にも愛である神が住んでる!すごい!おれも学ぼう!」


といった感じで、お互いに切磋琢磨できる世の中ができてくるんです。


日本こそ、すぐに笑いの神、受験の神、料理の神、と作ってしまう国ですから、


それこそ彼らから良いものを学んで良いスパイラルを作るのにもってこいの国です。


すでにその、褒め合う流れはでき初めています。


ひとりひとりの個人の意識次第で、世界は違って見えてくるからです。




稚拙な考えを、お読みいただきありがとうございます。


何らかのご意見、ご叱咤、いただければ嬉しいです。





2010年12月から、ブログランキングに参加しています。1カ月で記事がカテゴリ1位になりました。 クリックで私が元気になります。宜しくお願いします。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ 人気ブログランキングへ にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿